![]() |
![]() |
|
|
軽いぶり返し。顔以外の部分にかゆみが出て、首や背中は掻き傷だらけに。腕や太ももにも掻いた跡がある。 |
||
|
開始から1ヵ月で 大好きな学校へ 帽子を目深に被って顔を隠し、慎吾くんが久しぶりに玄関を出たのは97年5月10日。この日、ご両親は克服への扉が開く音を聞きました。 「掻かないように手を縛ったりして神経質になってたのが、掻いてもいいって言われたり。あの日は目からウロコでしたね。二人して泣きながら帰りました(笑)」と麻佐行さん。探し求めた治療法に、ようやく辿り着いた確信と安堵の涙でした。 目標は1時間×1日3回。そう聞いた慎吾くんは、温泉が届く前から湯治をスタート。動くのがやっとの体で、1日も欠かさず続けていきます。 「真面目な子なんです。下着が貼りついちゃってますから、下着ごと入ったりしてましたね。下着はいっぱい買いましたし、最初の頃はベッドが粉だらけでした。でもいちばんすごいと思ったのは、本人が学校に行きたがったこと」と薫代さん。「見た目には全然良くなってないのに、体力がついてきたら学校に行きたがるんですよ」。 97年6月。慎吾くんは湯治開始から1カ月足らずで通学を再開します。送っていった薫代さんが、「じろじろ見られて、このまま連れて帰ろうかと思った」ほどの状態でした。登校初日、国語の時間に書いた作文があります。 何もあきらめない それが大瀧家の湯治 『学校に行ったこと ぼくは、今日の朝とてもうれしかったです。それは学校に行けるからです。休んでいるとき、ずっと行きたかったので、とても楽しみでした。でも、お母さんが心配していたので、少し心配になってしまいました。来てみると、みんな「おはよう」と言ってくれたので、すごくうれしかったです…・略・…今日はとても楽しくて、明日、行きたいなと思いました』 強い炎症でガサガサの顔、お母さんに描いてもらった眉毛で登校してきた慎吾くんに、担任の先生も大感激。大きな赤丸が幾重にも引かれ、『慎吾くんの笑顔、とても素敵でした。先生は今日の喜びは忘れません。みんなで勉強を楽しもうね』と書かれていました。 「担任の先生も松澤カウンセラーも、私たちの意向を聞いてくださって、アトピーだからできなかったという思い出を極力つくらないように協力してくださいました」(薫代さん) 大瀧家の湯治は、名づけて「何もあきらめない湯治」。通学や学校の行事、ラグビーやサッカーも、可能な限り参加する方針で努力と工夫を重ねました。 「キャンプでも何でも、どうやったら参加できるかという方向で考えましたね」(麻佐行さん) |