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全身から滲出液がにじみ、痛みとかゆみで動くのもつらい状態。腰の部分は皮膚がえぐり取られて血がにじむ。これをピークに離脱は終息に向かった |
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残された1本のワラ それが自宅温泉湯治 「薬じゃもうダメだから、ワラにもすがる思いだったんです」(洋子さん) 発症から4年が過ぎ、高校を卒業した雅志さんは、近くにある簿記会計の専門学校に進学。親元を離れて県外の学校に通うという選択肢はありません。薬は毎日しっかり塗っているのに、症状が抑えきれなくなっていたのです。 「何とか通ってましたけど、見た目に症状が出てるし、髪の毛も抜けてきて薄くなってたから、そこにいるのがイヤでイヤで……」と、今はフサフサの髪に手をやる雅志さん。「良かったですよ。本当に良かったです。一時は、どうなるかと思いましたもん」。 いつしか英夫さんの本棚には、アトピーに関する本がズラリ。実は、大分前からその中にオムバスの本がありました。 「だけど、温泉を買ってくるなんてことは大変じゃないかって、なかなか手が出なくて、あれこれ違うことをやってたんですよ。でも、何やってもダメだったから、いよいよこれをやってみるかって切り出してね。『だまされるかもしれないけど、話を聞きに行ってみるか』って(苦笑)」(英夫さん) ご両親と3人で藤沢の日本オムバスへ向かったのは96年11月16日。1週間前に薬を断ち、急激に離脱が進んでいる雅志さんは完全にふさぎ込み、ご両親の表情も明るくはありませんでした。 離脱の辛さに 表情も会話も消えた 「それまでやってきたことがみんなダメだったから、これもダメかもしれないっていう気持ちはありましたね」と洋子さん。しかし、帰路の表情はかすかに希望を取り戻していたことでしょう。じっくり説明を聞いたあとで、ご両親は自宅温泉湯治に賭けてみる決心をしていました。 「それまでにやってきた治療法は全部、何かを飲んだり塗ったりすることでしたから、もしかしたらアトピーは、体に入るものによって起きているのかなと引っ掛かっていました。温泉湯治は、逆に体の外に出していく。説明を聞いて納得もできましたから、湯治をやってみようと思ったんです」(英夫さん) 学校に休学届けを出し、湯治中心の生活がスタートしたのは96年11月25日。温泉と水道水を7対1の割合で混ぜ、1日30分を4回に分けて入ることにしました。 「とにかく早く治したかったので、ひたすら入りましたよ。グッタリでしたね。何もやる気がしなかった」(雅志さん) 冬に向かって離脱はとどまる所を知らず、状態は落ち込む一方。顔から首から背中からジュクジュクと滲出液がにじみ、かゆみと痛みが24時間襲いかかります。 満足に睡眠が取れるはずもなく、1日中もうろうとした状態。雅志さんの顔から表情が消え、家族との会話がなくなりました。 体力と相談して 湯治の仕方を調整 「話しかけようものなら、『うるせぇ!』って怒られて、おっかなくてね」と、今は笑顔で振り返る洋子さん。「言葉をかけることもできないし、何考えてるかわからないし、もう1日が長くて長くて(笑)」。 離脱のつらさと先の見えない不安。ひたすら耐えて過ごすのがやっとの雅志さんを、ご家族がハラハラしながら見守ります。 「一度、話したことがありますよ。『お父さんが達者なうちに、何としてでも治してやるからな』って。それぐらい言わなきゃいけないような状況だった。本人がおかしくなりそうだったからね」(英夫さん) 離脱のピークは開始から2ヵ月たった頃。背中から腰にかけて皮膚がなくなるほど掻き壊し、滲出液で貼りついた下着をはがすと血がにじみます。温泉の汚れも激しく、2日で交換することに。体重はガクンと減りました。 オムバスへ面談に行くこともできないため、写真を撮って郵送。報告書を見たカウンセラーから、湯治を調整するよう連絡が入りました。 「治したい気持ちが先走って、睡眠が取れていないのに湯治を頑張り過ぎている面がありました。バランスを考えるようお話しましたね」(松澤博一カウンセラー) アドバイスを受けて、湯治は30分を1日3回に。湯治の時間を稼ぐよりも、眠れるときに極力睡眠を取り、体力を温存する方針に修正していきます。 |