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肘の内側と顎下の汗だまりに軽い炎症がぶり返している。平日は学校、土日はアルバイト。生活に支障がなくなってから「最後の5%」が長くかかった。 |
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体の離脱は半年で 脱出したけれど 離脱が底を打ち、終息に向かい始めるのは97年の春。掻き壊していた皮膚が再生し、下着やシーツに滲出液が染み付くことがなくなり、かゆみの程度が軽くなっていきます。 「治ってきてるのは、会話ができるようになったことで感じましたね。途中から、話しかければ言葉が返ってくるようになったから、良くなってきた実感があるんだろうなぁって」(洋子さん) 開始から半年たつと、離脱期を抜けて湯治も中盤へ。かゆみの強さも見た目の症状も、格段に落ち着いていました。何度か目は覚めるものの、夜にまとまった睡眠が取れるように。しかし、精神面の問題は残ります。 休学していた学校から連絡があったのは97年の3月。激しい離脱の渦中では復学のめどがつかず、一旦退学するしかなかったのです。順調に快方へ向かう体とは裏腹に、雅志さんの気持ちは停滞したまま。復活した家族との会話も、和やかなものではなかったようです。 「長い人生の中でみれば、ここ1、2年ぐらいどうってことないって言っても、本人にはわからないんですよね。『お母さんはアトピーじゃないから、オレのことはわからねぇ』『お母さんの言うことはみんなきれいごとだ』とか言って。どこにもぶつけるところがなかったから、私にぶつけることで気分がいくらかほぐれたのかなと思うんですけどね」(洋子さん) 将来への不安を 吹っ切る方法は オムバスでの面談も、アトピーに関することと精神的なケアが半々だったといいます。 「松澤さんにも、将来についての本人の考え方が悲観的になっていかないように、体と精神面の両方で相談に乗っていただきましたね」(英夫さん) 将来に向かってスタートを切る時点での挫折。周りはみんな順調に滑り出している。自分は人生を左右するような、取り返しのつかない遅れをとったのではないか――。 そんな焦りは、言葉でいくら否定されても簡単に振り払うことはできませんでした。それを薄めるのはやはり、快方に向かっている手応えともう一つ、実際に外へ出て、視野を広げることだったようです。 「週3、4日、バイトしてみようと思うんですけど」。松澤カウンセラーに電話が入ったのは97年8月。ご両親には相談せず、自分で探して決めてきた仕事は、家庭用雑貨の量販店で品出しのアルバイト。職場ではさまざまな年代の人が働いていました。 「何かやらないとバカになりそうだったから、取り敢えずバイトでもしてみようと思って。パートのおばさんたちが多くて、強力でしたね(笑)。『学校行ってないの?』とか、温泉療法をやってるって言ったら『そんなの効くの?』って言われましたけど」(雅志さん) 「95%の回復」から 長い足踏み状態へ 湯治開始から9カ月。まだかゆみはありましたが、見た目の症状はほぼ落ち着き、自分から言わなければアトピーとわからないほどになっていました。体への影響を見ながら短時間から始め、じきに9時〜5時に移行。大きなぶり返しもなく、1日3回の湯治とアルバイトを順調に両立していきます。 温泉を減らし始めたのは98年の1月。ほとんど風邪も引かずに冬を越し、肌の状態もさらに安定。しかし、生活に支障がなくなると、どうしても油断が出てしまうのでしょうか。その頃から雅志さんは、長い足踏み状態に突入。 小川会長から、「95%の克服」と太鼓判を押されたのは98年6月。集合面談に参加した日のことです。同時に小川会長は、「手を抜いちゃいけない。最後が大事だよ」とクギを刺すことも忘れませんでしたが……。 「やっぱり、多少は手を抜いたこともあったかな。面倒くさくて入らなかったり。突然首筋に何か出てきたりして、まだ完全じゃないとは思ってましたけど」(雅志さん) 後半の湯治は「最後の5%」との闘い。小さな変化を見ながら自己コントロールを覚え、2度とアトピーに後戻りしない生活を定着させる期間です。そして、将来に向けての助走期間でもありました。 |