気温の高い日は汗をかくと赤みが出たが、すぐに引くようになっていた。順調に回復している頃。肌にはツヤも柔らかみも戻っている。

干上がったダムの底
ひび割れた地面のような肌


 湯治開始0日の写 真を見ると、『これほどの軽症で湯治を?』と、お思いの方も多いでしょう。そのときはまだ、顔と上半身がザラついて、赤みがあるものの、大きな離脱に悩まされてはいませんでした。これを最悪として、後は良くなる一方だろうと、ご本人も高を括っていたのです。
 しかし、1カ月もすると、目の周り、おでこ、首などを、強烈なかゆみが襲うようになりました。薬を塗っていなかった胸や背中にも炎症は広がります。あまりのかゆみに耐え切れず、血とリンパ液が出るまで、身をえぐるようにして掻き続ける茂之さん。汁はジュクジュクするだけにとどまらず、ポタポタと垂れ落ちさえします。逆に、乾けば、肌は干上がったダムの底のよう。バリバリ割れてくるのです。
 「顔しか薬を塗ったことはなかったのに、背中や胸に出ていたのは不思議でした」(茂之さん)
 「きっと、かくれていた所なんですね」(牧子さん)
 離脱のピークは3カ月間続き、2時、3時まで眠れない夜も多く経験しています。
「体表面が火照って熱く、かゆくて。とうてい眠れそうになくても、とりあえず寝てやろうと、布団には入っていました」
 離脱の真っ只中にいるときは、1日1日を必死で過ごすしかありません。肉体的よりも精神的な辛さが先行していたのでしょう。改めてその頃の写 真を見ると、「わぁ、すごいすごい。こんなになってたんだね。まるでフランケンシュタイン(笑い)」と、他人事のように話す茂之さんです。
 そんな折りでも、親戚の結婚式に参加したそうで、会した一堂が、まず息をのんで絶句する気まずい場面 にも遭遇しています。「このまま一生治らないのなら悲惨だけど、治るためにこの状態に陥っていただけ。無理をしているのではなく、悲壮感はなかったんですよ」(茂之さん)
 湯治は、1日40分を3回行います。勉強中であっても、湯治の時間はしっかり守る生活を確立していました。「どちらも当たり前にやらねばならないこと。湯治で受験勉強が邪魔されるなどとはまったく思いませんでした」
 お風呂上がりは決まって、温泉水のスプレーとオイルを手に、パンツ1枚で「上がったでぇー」と、家族の前に現れます。夜などは、お父さんもお兄さんも妹さんも、その姿を滑稽そうに目にしながら、しかし、肌の状態はしっかりチェック! お母さんが毎回、茂之さん自身では手の届かない背中に、温泉水を吹きかけ、オイルを塗ってあげていました。
 「私はそうしながら状態をつぶさに観察していたんです。娘が、よくあの肌に触れるわねなんて言っていたものです」
 「えっ、そんなこと言われてたの。他にも何か言ってた?」
 「今日はだいぶ赤いとか、かなり乾燥に変わってきたようだとか、毎日みんな細かくチェックしていたのよ」


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