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再びの落ち込みに放心状態でオムバス大阪に駆け込んだ。アルバイトの疲れ、寝不足から、顔・首がゴワゴワに。炎症のひどさより『自分は治らない』のあきらめが表情を暗くしていた。 |
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カウンセラーの存在は大事と やっと気がついた 一旦良くなっていたのにどういうことなんだと、ご両親も心配に。また一致団結して、今度は、すでに支社のできていた大阪に向かいました。それが平成8年12月中旬のこと。 ここで初対面となったのが、その後の洋子さんを大きく変えた阿久津敏則カウンセラーでした。オムバスに対する不信感を露にするご両親と、目から表情を失い、心ここにあらず、放心状態で炎症に包まれている洋子さん。お母さんの矢継ぎ早の言葉を静かに制した阿久津カウンセラーに洋子さんは、 「見た目通り、怖くて厳しそうな方だなぁと(笑い)。両親は、ここまで体のレベルが落ちた私に、ダラダラ寝ていないで規則正しい生活をしろと言いがちだったんですが、今はそんなレベルじゃありませんって言ってもらえて助かりました」 「私が担当してからすぐに家庭環境がネックになっているとお話したことがあります。そのとき、洋子さんはどういう意味かとキョトンとしていらした。ストレスが症状にもたらすものが把握できていない状態だったようです」(阿久津カウンセラー) そういえば、和裁が楽しみだった時期は調子が良かった。何かを始めても楽しいうちは調子が良く、いつの間にか義務になってくると心が窮屈になり、なのに無理をして体調を崩している……。一人でできるとばかりに頑張ってきたことは、湯治のハウツーを守ることだけ。心の問題が大事と知った洋子さんは、精神を安定させる方法を阿久津カウンセラーから学びとろうと必死になっていきました。 とはいえ、前提となるものが家庭不和といった、抜け出しようのない重いもの。内向的で、人に気持ちを開こうなんて今までその部分を敢えて欠落させてきた人が、相手が自分のカウンセラーであっても、いざ人に心を開くのには大変な労力が必要でした。 「私としてはかなりの勇気を出して、カウンセラーに頼るようにしました。精神的に強くならないとアトピーは治らないって、やっと分かったからです」 「周りを全部変えるか、自分が強くなるか。前者にはとてつもないエネルギーを要します。どちらを選ぶって聞いたら」(阿久津カウンセラー) 「母親を精神科に連れて行けばいいですか?と言って『そういう問題じゃないですよ』って言われましたよね。でも分からないことは何もかも曝け出して聞こうと、阿久津カウンセラーとのやりとりを重ねるうちに、徐々に自分の心を開いていけたんです」 人づきあいを避け、子どもの頃からすべてを自分で判断してきた洋子さんでしたから、誰の言葉にも耳を貸せない節があったのです。その土台に加えて、症状の波を経験したからこそ、ここにきて初めてカウンセラーの存在の意味に気づいたのでしょう。克服への模索がいよいよ本格的に始まったのです。 1ヵ月半から2ヵ月に1度オムバス大阪に足を運ぶことは、初めて「義務ではない」ものとして洋子さんに根づいていきました。きちんと話せば、会うたびに得るものがある。耳を澄ませば、心に響く言葉がある。これまでカウンセラーに心を開いてこなかったことを後悔したかもしれません。 カウンセラーのアドバイス通りに睡眠と食事を優先させ、やみくもな湯治をしなくなって3ヵ月経つと、炎症は徐々に退き、肌の色も明らかに良くなっていきました。いつもここでいきなり無理をしては体調を悪くする繰り返しをしてきただけに今度は慎重です。 余裕を持って半年ほどかけて体調を上げ、その間に自分を強くするために「しなきゃならないこと」ではなく「したいこと」を探すようになりました。 「状態が良くなると、心境的に"できること探し"を始めたくなります。これはできる・できないの見極めを自分の力でしていかれた時期に入っていました。気分が高揚していたようです」 |