1月中旬に離脱のピークは超えている。赤みがかなり薄らぎ、肌が柔らかくなってきた。足は、表はすっかりきれいだが、膝裏の炎症は今までよりもきつい。


大阪平野を見下ろして
「がんばったる!」


 1日は限りなく長い。2時間の湯治以外はじっとしているだけで、せいぜいできることはテレビを見ることぐらい。お気に入りは大阪の方らしく、「吉本新喜劇」だったとか。「ビデオにまで撮ってましたよ」。ギャグも台詞も覚えてしまうほどに見入る日々。それだけ心が乾いていたのかもしれません。
「1回1時間を日に2回。これが僕のペースでした。少ないかもしれませんが、これなら続けていけるという自信が持てるものにしたかったんです」。湯船に『湯治の声』を持ち込み、何度も何度もこのページ、克服レポートを読み、人の言葉に励まされている実感を得る毎日。熱くなりすぎる気持ちをときにほぐそうと、「ラジカセを持ち込んで音楽を聞いていたら湿気でつぶれてしまいました(笑い)」とも。あらあら。

 年末から始めた湯治、年が明ける頃になると、どんどん滲出液が出てくるようになっていました。最もよく出たのが首。タオルを2、3枚常に巻いていてもすぐにベチャベチャになっていきます。かゆみが強烈なときは、掻くのではなくつねっていたとか。そうするたびに激しく体液が吹き出しました。
「確かその頃は朝食がパンでしたね。起きて1食目は食欲がわかないという理由で、パン食にする方は多いのですが、エネルギーの出方はご飯の方が勝ります」(宮治カウンセラー)
「あの頃は必死でしたから、カウンセラーに“いい”と勧められたことは積極的に取り入れていました」

 睡眠障害、体液、全身に広がる炎症などの症状に加えて将来の不安。考えるほどにストレスは溜まっていきました。しかし、辛さに浸るばかりではどんどん蟻地獄に落ちていくようなもの。

 今が一番辛い時期と認識していた薄雲さんは、敢えてその頃をスタート時期に選び「何か始めよう」を実践します。毎日半時間ほどかけて、近くの山に登ることにしたのです。
「運動が大好きだったから、体を動かさない毎日が余計にストレスを生むように思えたんです。山の中腹にある展望台に立って、広がる景色を見ると気分が爽快になりました」。動きたい願望が、背中を押し、動かない体を前に進めてくれたのでしょう。
「毎日、毎日、そこに行くのが楽しみで目標で。でも、展望台から大阪平野を見下ろすと、街は動いているんですよ。人も車も忙しそうに。『僕は何をしているのかなぁ。この社会からドロップアウトしてるんちゃうか』、そう気づいてしまったときは、さすがに哀しかったです」

 辛さに取り巻かれてしまわないために始めたウォーキング。なのにネガティブな方向へと心は持っていかれてしまう。『ちょっと待てよ。治さんことにはここから抜け出せへんのや』。気持ちの切り替えを図った薄雲さんは、街の動きに「もうすぐ加わるから」と告げるように変わっていきました。

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