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開始から1年未満でここまで良くなった。背中や膝下、お尻に色素沈着があるだけで、他に症状は見当たらない。かゆみも軽くなり、湯治をしている以外は普通の生活と変わらない。 |
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離脱期は頻繁に オムバスへSOS! 最も離脱が強く出たのは、体重がかかるお尻の部分。痛くて椅子に座れないため、お父さんが座面を丸く繰り抜いてくれました。 「そこにタオルを丸く置いて、痔の人のクッションみたいに(笑い)。あとは壊れた座椅子を引っ張り出して、お尻を浮かせて寄りかかって1日中。それしかできなかった」(朝美さん) 離脱と直接闘っているのは朝美さん自身ですが、支えるご家族も闘いです。どんなに睡眠不足でも、朝になれば山のような洗濯物が立子さんを待っています。血や滲出液で汚れたガーゼを洗い、消毒してアイロンをかけ…。 「私も同じように眠れないし、疲れちゃってるんですよね。それでも、あれもこれもやらなきゃいけないってときに、私の顔見ると『かゆい! かゆい!』って」(立子さん) 堪らなくなって立子さんが、「もうやめて!」と悲鳴を上げたことも。 「お母さんはひど過ぎる!」「わかってるから、もう言わないで」「私は好きで病気になったわけじゃない!」「お母さんだって」……。離脱の激しい時期は、たびたびカウンセラーに電話が入りました。 「松澤さんに、『どうしたらいいんでしょう』って泣きながら。松澤さんがいないときは、他のカウンセラーの人に助けていただいたこともあります」(立子さん) 峠を越えたら今度は お母さんがダウン オムバスへ行ける状態ではないため、報告書と一緒に自宅で撮影した写真を郵送。不安や疑問はそのつど電話で相談しました。 消毒のために酸性水を利用したのは10月。涙ながらの電話を受けて、カウンセラーが他の会員さんのビデオを送ってくれたことも。 「離脱とか状態に関することもありましたし、精神的な部分のこともありましたね。お母さんの気持ちが落ち着いてきたのも12月だったと思います」(松澤博一カウンセラー) 凄まじい離脱が峠を越えたのは、開始から3カ月が過ぎた97年12月。当時の報告書に、『イスに座っていられるようになった。睡眠が取れるようになって、身の回りのこともできるようになってきました』という記述があります。立子さんがダウンしたのもその頃。 「気が張ってるときは良かったんですけど、少し良くなったら風邪ひいて寝込んじゃったんです。自分で洗濯してるのを布団の中から見て、やれるようになったんだ、親がやらなきゃ自分でやれるんだって」(立子さん) 1歩も外へ出なかった朝美さんが、これをきっかけに外へ出るように。徹底した湯治で離脱を噴き出させ、続いて目を見張る回復ぶりを見せるのです。 「ずっと巻いてたガーゼがくっつかなくなって、1個取れ2個取れ、2月の半ばには足の包帯も全部取れて、スベスベし始めて。その頃から、大分いいなっていう感じでしたね」 ここまできても朝美さんは、1日4〜5時間の湯治を続行。 |